第二次世界大戦末期、鹿児島県・知覧(ちらん)の秘密基地で、特
攻隊員の世話を命じられた知覧高等女学校の「なでしこ隊」のドキュメンタリーを交えた再現ドラマを観ました。
涙、涙でした。
教師になる夢を持っていた隊員
結婚する日に特攻隊になった隊員
さまざまな思いを断ち切って、命を国に捧げ、飛び立っていかなければならない特攻隊員の姿。
その、一番近いところで、つらくても、悲しくても、決して、涙は見せらてはならない、と約束させられ、最後は桜の花を振りながら、笑顔で送り出さなければならない少女たち。
その苦悩と葛藤の日々。23日間。
涙なくして観られませんでした。
なでしこ隊が、当時、日本を救う「神様」のお世話をせよと命じられ、三角兵舎で炊事、洗濯などをして、お見送りした特攻隊員は109人。
私の父、母は、生きていれば、79歳と81歳。特攻隊の人たちと同世代なんです。
父は戦争中、その(特攻隊員の乗る)飛行機の整備、設計を手伝う仕事をしていて、特攻隊予備軍?的なところにいたんだそうで、生前、いっつも「あと2歳上だったら、わしも飛行機に乗れたんだけど・・・」とよく話しておりました。
いつも角刈りで目の鋭かった父は、特攻隊に志願したかった
ようです。
母は、3人兄弟の兄と姉を戦時中に病気で失っていて、当時の話をよくしてくれました。
特攻隊員の肉声テープや手紙も紹介されていましたが、その声は、当時のピーンと張り詰めたようすが伝わってきました。
私は、父や母の若い頃を思いながら、父母の姿を重ねて、ドラマを観ていました。
写真や石を「親に渡してくれ」「ボクが生きた証として持っていてほしい」と少女たちに手渡す特攻隊員たち。
何か形見をこの世に残したかったのでしょうか・・・。
涙を必死で堪えて、桜の花を振って、見送る少女たち。
いろんな考え方はあるでしょうが、若い命を国のために散らした特攻隊員たちに、深く感謝したい、と思いました。
なでしこ隊の皆さんのご苦労にも感謝します。
「命」の大切さが心に染みました。
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テレビ
2008年09月22日