女将のほのぼのブログ

2008年05月23日

小脳脊髄変性症の母

きのう、母が小脳脊髄変性症で他界したことを書きました。
発病した母は、病気の進行も早く、発病して2年ぐらい経つと、生活全般にわたって、父の介護が必要になりました。
イスに座らせてもらっていたり、寝床で横になっていたり、いろいろでした。
私は、小脳脊髄変性症という病気は、なんて残酷な病気なんだと、いつも思っていました。
頭の中(思考回路)は、しっかりしているのに、体がいうことをきかない、動かんのです。
母の場合、最期まで(意識を失うまで)、頭はしっかりしていたと思います。
頭がしっかりしていて、それなのに、自分の意思のように体が動いてくれないのです。
母は、そのことが、つらくて、悲しくて、くやしくて、私が病気でも強い意志をもってくれたら、そうすれば、少しでも、辛い辛いということばがでなくなるかなァ、と思って、意見するものですから「病気になったもん(人)の気持がわかるかァー」とよく訴えました。
私との最期の会話は
「また、来いよー」と
か細い声で・・・。
6月の湯村温泉(実家のある)の「菖蒲綱祭り」の日、母は、その数日前から、体がだらんとしてしまい、自由がきかない状態になっていました。
食事量も少なくなり、熱もあって、でも、なんとか、壁にもたれて、すわって、私たちといっしょに、お祭りのごちそうを少しつまみました。
が、しんどいのか、すぐに、ごろんと横になってしまいました。
私が「帰るでェー」と言うと、
「また、来いよー」と母は・・・
10日後には、意識も無くなり、
それから、2週間後に、
帰らぬ人になりました。
あれから、もうすぐ23年。(命日は6月23日)
いまでも、
母は、私や主人の心に
生き続けています。
「また、来いよー」
の声とともに・・・
母子草
                 母子草
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