女将のほのぼのブログ

2008年05月15日

父は生涯、消防団員

中国四川省の大地震は、発生から4日目。
死者1万5千人、行方不明・生き埋め2万5千人以上と言われていますが、これから地震の被害はどこまで拡大するのでしょう・・・
倒壊した学校のガレキの隙間から手をのばして救出を待つ女の子。この子の見えない部分、体の、はどうなっているのでしょう。早く助けてあげて!
校舎の下敷きになった子供の遺体のそばで、泣き崩れるお母さん。(突然のことで本当に悲しい・・・)
ガレキの下に埋もれて、傷だらけの顔の子供。(どうか早くガレキをどかせて助けてあげて・・・)
こんな悲惨な写真を見ていると、涙がこみ上げてきます。
少しでも早く助けてあげたい、落ち着かない気持でおります。
中国では自衛消防はどうなっているんでしょうね。
もし、私たちのこんな田舎でも、何かあると、消防団の方々が、仕事場から、いち早くかけつけ、人海作戦で活躍され、台風での水害などの時には、わが家もお世話になりました。
5年前に他界した父は、私が小さいころから町の消防団に入り、火事や水害などがあると、我が家のことはほっといて、誰よりも先にかけつけ、人を助け、火を消し、活躍?していました。
それも、生涯。
近所の火災発生の時、一人で火を消しに行って、手に大きな火傷をしたこともありますし、ケガをしたこともありました。
父は、消防のことになると一生懸命なのに、自分の仕事(大工さん)はそっちのけで、母は大変苦労していました。
母は小さな体でよく働き、子どもだった私は、たいして力にはなれなくても、そんな母を助けずにはいられませんでした。
父は最期は、町消防団の副団長までなって、自分では大変誇りに思っていたようです。(無口なので何も言いませんでしたが)
私は、そんな父をいまだに、認めてはいませんが・・・(自分の家族をほっておいたことについて)
「お墓にいっておんなるのに、もう許してあげーや」と陰の声。
でも、中国でこんな大惨事があったら、父は何をおいても飛行機で現地へいち早くいっただろうなあ、と思います。(受け入れてはもらえないことも知らず)
いろいろ、書きましたが、気持を入れ替えて、
復活したバイカモ群生地
バイカモ(兵庫県新温泉町の田君川)が、地域の人々の努力で復活しました。
バイカモ看板2
2004年の台風23号の洪水で流出し、翌年には渇水被害で、壊滅状態でしたが、何度も植え付けを繰り返されたそうです。
おかげで、ことしはごらんのようにー(うれしくて、川に入ってパチリ)
バイカモ生足で
バイカモ花花
バイカモ花のアップ
清流はとてもきれいで・・
でも、冷たくて足がジンジンしびれました。
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