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親子二代にわたって、
可愛がって頂いた恩師F先生が一昨日あさ、突然亡くなられました。
主人と一緒に、お見送りへ行ってきました。
先生にお世話になったのは、まず主人。
小学校5年と6年の2年間、担任教諭として若々しい先生と出会い、濃密な日々を送ったようです。
夏には悪ガキ3人組で人が行かないような海岸で一晩泊まりのキャンプ(ろくなテントもない時代でしたが)をして、先生が心配?していっしょに泊まってくれたり、木造の学校で宿直している先生のところに夜、仲間と忍び込んで逆に喜ばれたり、鈍行列車で二駅乗り継ぎ、さらに自動2輪のオートバイの荷台にこども二人も乗せてもらって先生のお宅まで遊びに行かせてもらったり(途中、1人が落ちたけど、たいしたケガはなかったとか)、さんざんガキ大将ぶりを発揮、それを先生は大きな心で自分も楽しそうに受け止めて下さったそうです。
もう、40数年前のことですが、後年、先生は私に当時の主人のことを何でも話して下さいました。
「元気ばっかり良くて、肝心のお勉強の方は・・・」(私は本当のことは知りませんが)とか
「なあ、奥さん(私のこと)、出来の悪り~子ほど、可愛いちゃ、このことだで・・・。Kちゃん(主人のこと)のことは、いっつも頭に残っとるでぇ~。まあ、ごっつい元気が良かったワ」と、
お会いする度に、大きな声で笑いながら言っておられたものです。
そして、我が子たちが小学生になった頃、F先生は校長先生として同じ小学校へ赴任して来られ、今度は息子たちがいっぱいお世話になりました。
主人や私がPTAなどで学校へ伺うと、
F校長先生は
「まあ、似とるちゃあ、困ったもんで、柿の木に昇るは、ネズミは追い掛け回すし、自然学校の三川山の道なき道の登山では先頭で登って来るし、矢田川の激流の手作りいかだ下りでも・・・。二人とも(息子たちのこと)がっせえ元気がええワ。先が楽しみだ。ハ、ハ、ハ」と、
目を細めて唾を飛ばしながらよく話して下さいました。
その姿は、感受性豊かで、型破りで、いつも真剣で、素晴らしい教育法とともに、忘れることができません。
息子が中学生になって進路に悩んでいる時も、実に懇切丁寧な手紙を本人に下さったり、私にも母としてどうすべきかを、心を込めて力説して下さったこと、いつまでも覚えています。
79歳。男性の平均寿命は達成されていますが、もっともっと長生きされ、息子たちのことを見守っていていただきたかったです。
ありがとうございました。F先生!
どうぞ、安らかに、お眠り下さい。
人生
2009年05月24日